尊敬≠推す

 

あなたには推しという存在がいるだろうか。

こんな記事を書くくらいなので当たり前だが、私にはいる。

推しは所謂、若手舞台俳優と呼ばれる人だ。

 

私は彼に出会ってから、今日に至るまでずっと彼を推し続けてきた。舞台の出演が決まれば喜んでチケットを取り、取れなければ譲渡を探し回った。手紙はもちろんプレゼントも贈った。

彼が一番かっこいい、かわいい、大好きだという気持ち(リアコではない)でいっぱいだった。友人にも写真や動画を見せて、これが私の推しなんだとアピールしまくった。

(おかげで何かの情報解禁があるとおめでとう!と連絡が来るようになった)

本当に大好きだったのだ。いや、推しのことは今も好きだ。正確には手放しに「大好き!」と言えなくなってしまったというのが正しい。

 

私は推しのどこが好きなんだ?

推すってどういう事なんだろう。

この考えがいま、私を蝕んでいる。

 

そんなことを考え始めた理由としては、推しと某舞台で共演したある二人の若手俳優(片方はそう言っていいのかわからないが)の存在が大きい。

 

件の某舞台で稽古中めちゃくちゃに扱かれたであろう推しは公演中べらぼうに美しく、そして面白かった。かなり美味しい役を貰っていたのもあるが、周りの評判もよかったため贔屓目ではなかったと思いたい。

一公演中、なんとはなしに座席に座っていただけで、少なくとも推しが良かったと話しているのが3回は聞こえてきた。幻聴だろうか。

というか、ここまで来たら周りがどう思っていようが推しはその日も美しかったのだ。それは事実である。

結局推し自慢をしてしまっている辺り、私はやっぱり彼のことが好きなのだろうなと書きながら思っている。

 

そう、本題に戻ろう。

 

二人の若手俳優の話をする。

共演者の1人だった若手俳優Aくん(以下Aくん)はまだ全然若い。確か23か24かそれくらいだったと思う、ので若手だ。多分。若い彼はその舞台で座長を務めていた。

それはもう立派な姿だった。毎公演違う表現を見せてくれて、物語に沢山のifの想いを巡らせたくなるような演技だった。いくつもあった表現の中に、ひとつの正解があったのだろうかと野暮なことを考えたりもした。しかし、あの瞬間にあったその姿がいくつもの正解なんだろうなと今は勝手に思っている。

気紛れではなく、明確な意志を持って演技を変えてきていると感じた。

そして、それがどうしようもなく衝撃的だったので彼を知るために取り敢えずブログを見た。更新率はそんなに高くなかったが、一つ一つの記事が誠実だった。

Aくんは素で喋ると少し抜けているというか、天然が前面に出てしまうな…とおもっていたからか、丁寧な文章を無性に愛しく感じた。

きっとギャップ萌えだ!と今気付いた。

ギャップってすごいなぁ。

あと、ファンに感謝していた。

Aくんは、自分がどういう立場で、そして自分の周りにいるファンがどういう気持ちで自分を見に来ているのか、自分のために何をしてくれているのかを理解している人だった。

ファンの独りよがりともいえる(しかし集客がなければ仕事にならないので独りよがりではないかもしれない)言動に対して、確かな感謝を文字や言葉で伝えてくれる出来た人だった。

 

この人のファンは恵まれている、羨ましいと感じた。

 

私の推しは、あまり自分の正直な気持ちを話さない。ブログの更新はほぼない。Twitterをしているので生存確認が比較的容易である事は嬉しい。だけど、なんとなく、彼が発する言葉は軽いのだ。ふわふわしていて、地に足がついていない。なるようになれといった印象だ。

Aくんより若いからかなと思わずにはいられない。弱みを見せるのはカッコ悪い!というお年頃か。別に、弱みを見せるのがカッコイイというわけではないけど。

そんなこんなしていたら、つい最近彼自身がいろんなことに対して迷いがあるという事を耳にする機会に巡り合った。

簡潔に言うと俳優やってるのが楽しくなって来た感じ、でも続けるかは分からないといった内容だった。

喜んでいいのか悲しんでいいのか。

推しの演技は、いま、他人に向けてではなく自分の自己満足の為にあるんだなぁと感じた。

それでも良いのかもしれない。もしかしたら他の役者もそう思いながら演じているかもしれない。どんなに保険をかけてもショックなものはショックなので辛いだけだが。

 

推しにとって、私の「あなたにたくさん勇気付けられたよ」という気持ちは糧にならない。

わがままを言うと、糧にして欲しい。声援というのは勇気をもらえるものだと思っていたけど推しにとってはあってもなくても変わらなかったのかな。

推しはいつも幕が降りる最後の瞬間まで2階センターの手すり下あたりを真っ直ぐ睨みつけていた。

 

2人目の(若手)俳優Bさん(以下Bさん)の話をする。

()はとても失礼かもしれない。若手っていつまで若手なんだろうか。歳がすっぽり抜けてしまった。確か30歳か30歳手前くらい。

Bさんは、件の舞台では主人公の親友的立ち位置の役所だった。彼は綺麗な顔をしていて、所作も丁寧なのに時折突拍子もない言動をするところがとてもチャーミングであった。その時は知らなかったが、どうやらいつもそんな感じらしい。

いや、またギャップ萌えか?

あと、飛び抜けて歌が上手かったわけではなかったけど、耳触りのいい良い声で、人数の多い舞台の上でもBさんの声がよく聞こえた。

名前を覚えないうちから「あ、またこの声だ」と聞き分けて何となくほっとするような。

恋かよ。

カテコで共演者に名前を呼ばれ、目を細めてにんまり笑う姿が忘れられず、私はAくん同様、彼のブログを見た。

ブログが電波だった。

私が言うのも何だが、思いついたことをぽんぽん羅列して、これからもよろしくどうぞ。みたいな。

あと韻を踏むのが好きなのかなと思った。脈絡のない文章だけど、Bさんの容姿や雰囲気と相まって妙に納得できるというか。

不思議な電波な文章だけど下手な文章ではない。きっと、彼は頭が良い。

日常の、雨が降りそうですねとかそういう何でもない話をぽつぽつ綴っているのがなんとも言えない親近感を覚えさせた。

ひとつ、ガツンと来たというか、パズルのピースがカチッとハマった記事があって、それを読んだ夜は何だか眠れなかった。

普通そんなこと考えないけど、言われてみれば確かにそうだねと笑えそうな、感覚的な話だった。

 

その記事を読んだ日に、推しの言葉に共感したことがないことに気付いた。

推しが弱さを見せない強い人で、私が弱い人間だからかもしれないけど、釈然としなかった。

性格の不一致、音楽性の違いですみたいな感覚。一生かかっても推しと同じ景色が見れない気がした。

推しは千秋楽が終わってもブログを更新しなかった。

 

推しに悪いところはない。私が盲目にここ数年を彼に費やしたことに後悔もない。そして私はこれからも変わらず、お金も時間も費やしていくだろう。

 

上記のAくん、Bさんを知った事で私の中の『推す』という定義が大きくブレた。

今までは、なんというか反射的に推していた。これが、推すということだと思っていた。

けど、AくんBさんに対して尊敬のようなものを抱いている今の私にとって、推しは本当に推すべき人なのか分からなくなった。

尊敬できない推し…?

何度かうっすら降りるべきかな…と考えたりした。

勝手にしろよって感じだと思う。私が他人だったらそう思う。人間、推すのも降りるのも自由なのだ。

けど、私はまだ降りていない。推しの次の舞台チケットも手元にある。そのまた次の舞台の情報解禁がないかとツイッターの通知だって気にするし、ファンクラブも入会したままだ。

 

延々考えて、思い浮かんだのは推しの笑顔だった。やんちゃでおぼっちゃんな推しは眉を下げてくしゃりと笑う。時には手を叩いて前かがみになりながら馬鹿笑いをする。

アホみたいな話だけど、笑顔を見て嬉しくなるんだから推すんだなぁと思った。

 

結論はタイトル通りで、尊敬と推すことはイコールではないという話だ。

私が彼を推す理由は尊敬云々ではなく彼の笑顔だった。

 

あなたは何を理由にその人を推していますか。

 

 

 

八朔餅のお題箱

追記:

私はAくんに対して、役者という職業における人間性に惹かれている。Bさんに対しては、一個人としての感性に惹かれている。

なら、推しの魅力はどこだ?という話でした。

あと、修正もちょっとしました。20180228

お題箱を作ったのでリンクを貼っつけました。20180306