メサイア–月詠乃刻–を見た話

 

 

 

 

 

ライブビューイングにて見てきました。

 

これまた名前は聞いたことがあって気になっていたんですが複雑なストーリーでどこから入ればいいかな…と右往左往していたんですよね。ですが、今回ライブビューイングがあるということで勇気を持って飛び込んでみた次第です。

かなり前に原作小説を読んで(内容はすでにうろ覚え)、気まぐれにメサイア外伝-極夜 Polar night-を見てなにも知らないのに泣き腫らした(周の悲痛な叫びが本当に辛かった)くらいで、予備知識ほぼゼロだったんですが、見ていて大体の話の流れは掴めたので全然大丈夫でした!(大丈夫とは)

 

ストーリー考察とかは知識が足りなくて全く出来ないので、月詠乃刻だけをみた一個人の考えと感想を書き連ねていきたいと思います。思いついたところから書いていきます。思考がまとまらず支離滅裂になること間違いなし!って感じだけどとりあえず今の気持ちを残しておく…

 

以下ネタバレもあります。まだ大阪公演があるということなので、色々と知りたくない!という方はご注意ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、わたくし、舞台のメサイアに触れるのは初めてでして、話についていけるか不安だったんですか…結論から言うとボロボロに泣いて帰ってきました。

凄い…凄いものを見てしまった…メサイア…つらいな…

ほぼ万夜と小太郎の話しかしてないです。そこを追うのでいっぱいいっぱいだった。ほんの少しだけいつきのことも。

 

 

 

初っ端、立ち回り。すごい。動く動く。劇場にいたらどこを見たらいいのか分からなくなりそう…(ライビュなので大体の視界は限定されているため迷う暇はなかった)

いつきの「こんなの狂ったっておかしくない。でも、あいつがいるから死ねないし、狂えない。(意訳)」にメサイアというもの本来の意味を改めて思い知らされました。互いが互いの糧となり枷になる。救うために生きる。メサイアってなんでこう…もう……しんどい…

あの辺で私は既に泣いていました。メサイア初見なのに感情移入がすぎるのか、メサイアという作品がそうさせるのか…

 

 

照る日の杜の御神体だった万夜、そして信者だった小太郎。万夜は小太郎を大事にしたくて照る日の杜から彼を遠ざけた。これは、愛以外の何物でもないと思う。綺麗なものを汚したくない、大事にしたい、守るために遠ざけた。切ない。

でも、小太郎はどんな悪事に手を染めていようとも、それを知ってもなおついていきたいと思った、というような事を言います。これもまた愛なのでしょう。

メサイアっていつもこんな感じなんですか?

想い合う二人を引き裂く…いや一つにはなってるけど…!そうじゃなくて!!!!つらい。

 

初めから二人は両想いだったんですね、お互いを大事に思っていた。

そのことをお互いが知るまでが、遠くて長くて、入り組んでいたのだろうけれど、最後に二人はわかり合って求めあって一つになったんだなぁと。二人がお互いに手を伸ばす姿が、痛々しくて美しくて、誰か、だれか二人を助けてあげてほしいとすら思った。

 

 

いつきが鉄の掟を途中まで言って、そのあとに万夜が「サクラは、友人や恋人になってはならない。ただ一人、例外を除いて…」と続けるシーンがある。万夜にとって、小太郎はそういう寄り添って共にいたいと思う存在なのだということが強調されてるようで凄く苦しかった。サクラの人間である小太郎を救えるのはメサイアの万夜しかいない。でも、この繋がりはメサイアとしてだけではなくて、照る日の杜にいた二人だからこそのものがあったんじゃないかと勝手に思っている。はっきりと、ここでそう思ったとは言えないのがもどかしい。または、そう思いたいだけなのかもしれないけれど。

 

そうだ、あの小太郎の背負投。万夜はちゃんと見れていたはずだ。試合ではないけど、あれは輝いて見えたという、その姿に限りなく近いものだったんじゃないだろうか。

 

血が止まらない小太郎の腹部を真っ白な袖で押さえて止血すればあの袖は真っ赤に染まってしまっていたはず。どんどん浸食してくる赤に万夜はこのままじゃ小太郎が死んでしまうと怯えたことでしょう。自分の太陽が、消えてしまう。泣いてすがって、果てには自分の臓器をお前にやると言われて後退りをする。凄く脆くて人間らしい反応だなと思いました。一緒に帰ろうと迎えに来てくれたのに。つらい。悲しい。

万夜を置いていかないでほしい。

 

なんかこの、確かに一つだけど違うじゃん…みたいな…メリーバッドエンドになりきれないメリバ…みたいな…辛いですね…

 

でも、これが彼らの運命だったんですね。

万夜は小太郎の魂と共にこれからを歩んでいかなければならない。太陽だった小太郎のための、たった一人の神として。

 

生きる 死ぬ たった一人の神になる

 

そっかぁ…そういう意味か……

 

桜吹雪に包まれた、小太郎の微笑みが忘れられずにいる。

 

 

 

 

 

カテコで御池が自分だったから、柚木が彼だったからこそ、こういう結末になったんだと思う。とお話されてるのを聞いて、メサイアは役とキャストの狭間にある不思議な作品なのかなと思いました。キャストの成長が役に反映されるとか、そういったレベルの話ではなくもっと深いところで役とキャストが繋がっているような。不思議で魅力的な作品でした。メサイア

映画も見に行きたいな。

有賀くんはいつきくんを助けに来てあげてください……